友人の死

 去る、GWの真っただ中の5月2日15時過ぎ、突然ケータイが鳴った。登録している人ではないので、番号だけが表示されていた。休みの日だし、普段ならおそらく出ないだろう。でも、何故かその時に限って出た。相手は大学時代の友人Uだった。彼のケータイ番号は以前知っていたが、何年も前の話で、多分古い番号だったんだと思う。卒業してから何回かは会っていたんだけど。そんな彼からの電話に言葉を失った・・・。「子泣が死んだ」。子泣とは、もちろん子泣ばんどのリーダーで、大学の同級生で、サークルの仲間である。
 子泣は何年か前に膵臓をやっていて、生死を彷徨った事があったんだけど、その後は奇跡的に回復して、普通に生活していた。最近では、昨年の11月にもLIVEをやったし(これが子泣と会った最後となった)、特に変わった様子はなかったように思えた。ただ、酒には弱くなったというか、絡み酒が多くなったなー位に思っていた。結果的にはそれがヤバかったのかもしれない。
 話によると、3月にも入院していて、4月辺りも調子が悪かったらしい。そして、何日か連絡が取れなくなり、心配に思ったご両親が様子を見に来て発見したんだそうだ。そして、前出のUのところにご両親から連絡があり、俺のところに連絡をくれた訳だ。俺もすぐにバンドのメンバーに連絡を取るもつながらず。とりあえず、みんなに連絡しなくてはと、俺の知ってる限りの大学時代の友人にメールを送る。ただ、この時点では死んだという事しか分からないため、事実だけを伝えるのみ。何人かからは電話があったけど、それ以上は分からないので、また連絡するからと。
 その後、Uから、通夜と告別式の日程が決まったこと、遺影が無いことなどの連絡があり、前回のLIVE写真を何枚かメールにて送る。そして、みんなに日程のメールを送り3日の通夜、4日の告別式の打ち合わせをしたところで、この日は終了。メールと電話で結構いっぱいいっぱいだった。みんな、気を使ってくれてありがとな。
 翌日の通夜、翌々日の告別式。先輩から後輩までたくさんの人が参列していた。いろんな人が俺が連絡しきれなかった人にも、連絡を入れてくれていた。こういう時のウチのサークルの連絡体制は素晴らしい。半日とか1日位しか無かった思うけど、これだけ集まった。同じ音楽サークルであるCポップからも数人参列。GWにもかかわらず、と言うかGWで良かったのか、みんな駆けつけてくれた。葬儀に参列出来なかった遠方の友人達からも弔電が届いていた。これも彼の人徳だろうか。
 まあ、人間この歳になれば何があってもおかしくないのかもしれない。だけど、まだ41歳。若すぎるよな。2日間通して、ご両親は見てられなかったよ。特にお袋さんはね。俺も仏さんに花を添えたり、ビールを口に含ませたりってツラかったもん。ついこの間まで、バンドでLIVEやったり、酒飲んでたのにね。人間、骨だけになっちゃうとチッチャイよ、泣けてくるほどにね。今はただただ冥福を祈るのみだよ。